池田理代子の夫,結婚,実家,父親など家族について調査!

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「ベルサイユのばら」で知られる池田理代子先生は結婚していらっしゃいます。

現在の夫はどなたなのでしょうか。

実家や父親など家族についても調査してみました。

池田理代子(ベルサイユのばら作者) の経歴、作品、出身地などのプロフィール

まずは池田理代子先生のプロフィールをどうぞ。

名前 池田理代子(いけだりよこ)
出身地 大阪府大阪市出身

千葉県柏市育ち

生年月日 1947年12月18日
経歴
  • 東京教育大学文学部哲学科に入学。
  • 1967年、デビュー。
  • 1980年、第9回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
  • 1995年、東京音楽大学声楽科に入学。
  • 2005年、歌曲12曲を歌ったCDを発売。
  • 2009年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与。
作品(一部)
  • ベルサイユのばら(1972~1973年)
  • おにいさまへ…(1974年)
  • オルフェウスの窓(1975~1981年)
  • 栄光のナポレオン-エロイカ(1986~1995年)
  • クローディーヌ…!(1978年)
  • 聖徳太子(1992~1994年)
  • ニーベルンクの指輪(2000~2001年)
  • ベルばらKids(2005~2013年)

漫画家としてだけではなく、オペラ歌手としても活動している池田理代子先生。

高校生の頃は小説家になりたかったのだそうですよ。

大学生の時には家庭教師やウエイトレス、女子工員などさまざまなアルバイトを経験しました。

今までと現在の池田理代子先生を見ると分かりますが、かなりの行動力がある方ですよね。

だからこそ、素晴らしい作品を生み出し、今も愛されているのでしょうね。

池田理代子の夫とは結婚して離婚した?

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引用元:Amazon

池田理代子先生は、過去に4度結婚し、3回離婚をしています。

まず1回目の結婚は、集英社の編集者さんだったということです。

数年で離婚したのち、2回目の結婚は乗馬クラブの先生とだったとか。

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こちらも離婚、その後は1984年に元政治家の松谷蒼一郎さんとの不倫スキャンダルを起こしました。

3回目は、音大に入学した年に結婚した賀来景英さんという方です。

この方は日本銀行考査局長を務めた方で、趣味は全然違うということでしたが、先生に新しい経験をさせてあげられたようです。

4回目の結婚は、25歳年下というオペラ歌手の村田孝高さんです。

村田さんとは現在も仲良くしているようで、公式ブログのタイトルも「村田孝高(よしたか)と池田理代子のブログ~オペラと人生」となっています。

現在池田理代子先生はオペラ歌手としてもかなり活躍されているので、馬が合うのでしょうね。

池田理代子先生の髪を巻いてあげたり、洗濯したりしているそうですよ。

池田理代子に子供はいる?

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4度結婚された池田理代子先生ですが、子宝には恵まれなかったようです。

その代わりといってはなんですが、姪っ子さんを可愛がっているそうですよ。

その姪の方も、2017年8月に赤ちゃんを出産しました。

赤ちゃんとは2018年3月に初対面を果たし、池田理代子先生にかわいらしい笑顔をたっぷり見せてくれたのだそうですよ。

池田理代子先生は自分の血をひいた子の誕生に、不思議な感慨を感じたとのことです。

自分自身の子どもには恵まれませんでしたが、血筋は脈々と受け継がれていくのですね。

池田理代子の実家について

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池田理代子先生は大阪府出身の千葉県柏市育ちです。

実家は柏駅西口の近くで「オルフェイスの窓」という名前の喫茶店をやっていたそうです。

内装にかなり凝っていて「ベルサイユのばら」をイメージしており、池田理代子先生の絵がたくさん飾ってあったのだとか。

喫茶店に併設して、お土産屋さん「ル・ルーハウス」もあり、こちらではグッズを売っていたということです。

どちらも今はもうなくなってしまったということです。

残念ですね。

また、自宅は白い洋館で、入り口には白いアーチがあってバラがたくさん植えられていたのだとか。

さすが、少女漫画家の池田理代子先生のお家という感じがしますね。

池田理代子の父親、母親、妹などの家族について

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池田理代子先生の父親は自動車メーカーの管理職で、兵士として戦争に行き、南方で捕虜となった経験があります。

そこから奇跡的に生還したことで池田理代子先生の母となる女性と出会い、結婚することとなりました。

父親は85歳で亡くなりましたが、戦争で生き残って命をつないでくれたおかげで自分は産まれたと、一つの奇跡とも思っていらっしゃいます。

また、もともと学者を目指して東京教育大学(現筑波大学)の文学部哲学科に入った池田理代子先生ですが、父親は「女に学問はいらない」という考えで、学費を出してくれたのは1年間だけだったのです。

それがきっかけで、自分でお金を稼ぐために漫画を描くことにしたわけですから、ある意味漫画家である池田理代子先生の誕生に一役買ったともいえますが…

時代もあったとはいえ、厳しいお父さんだったんですね。

池田理代子先生の母親は専業主婦で、当時漫画がまだよく思われていない時代でも、子どもにはどんな才能が眠っているか分からないからということで、漫画も読ませてくれました。

いろいろな世界を見せてくれる方で、絵・ピアノ・歌・お琴・お茶などいろいろなお稽古ごとに連れていってくれて、池田理代子先生がイヤだというと、特に強制はせずに認めてくれました。

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「男に食べさせてもらわず、手に職を持って自力で生きていきなさい」と言われていたそうです。

妹さんは、20代のころに作った自身の著作権管理会社の社長を務めてくれています。

40代のころに音大を目指した時、執筆ができなくなるにも関わらず夢を後押ししてくれました。

ほかに、弟さんが2人いらっしゃるそうです。

色々見せてくれたお母さん、学はいらないと言いつつ進学は許してくれたお父さん、夢を後押ししてくれた妹さんと、素敵な家族に囲まれていたのですね。

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