「風と木の詩」や「地球へ…」で知られる、24年組の一人である竹宮惠子先生。
増山法恵さんとは現在はどんな関係なのでしょうか。
ほかにも結婚、自伝についてなど調査してみました。
Contents
竹宮惠子の経歴、作品、年齢などのプロフィール
まずは竹宮惠子先生のプロフィールをどうぞ。
名前 | 竹宮 惠子(たけみや けいこ) |
出身地 | 徳島県徳島市出身
福岡県朝倉市在住 |
生年月日 | 1950年2月13日 |
経歴 |
|
作品(一部) |
|
竹宮惠子先生の代表作である「風と木の詩」は、少年愛を本格的に扱った作品です。
当時は男女間の恋愛が求められており、編集者たちからも否定的でした。
また、内容について萩尾望都先生と多少もめたりすることもあったりと色々あった作品です。
それでものちのち高い評価を受けたので、周りに負けずにしっかりと描き上げたことがまず素晴らしいですね。
竹宮惠子と増山法恵の現在の関係は?
引用元:Amazon
20歳の頃から15年間、竹宮惠子先生のプロダクションのプロデューサー兼ディレクターを務めていた増山法恵さん。
あの「風と木の詩」も、電話で増山紀恵さんと話すうちにイメージが出来上がっていったそうです。
もとは漫画家の萩尾望都先生の同世代の文通相手で、萩尾先生の紹介で親しくなりました。
どうしてもマネージャーに間違われてしまいがちでしたが、増山法恵さんは竹宮惠子先生のプロデューサーとして立派に仕事を成し遂げました。
その後は独立し、フリーライターとして活躍。 書評、映画評、音楽評論活動などをし、『風と木の詩』のその後を書いた小説『神の子羊』なども執筆しました。
現在の状況ですが…増山法恵さんは、2021年6月30日から7月1日の未明にかけて、突然死してしまいました。
竹宮惠子先生もこれには驚いたそうです。
亡くなる数日前に、新型コロナウイルスワクチンの1回目接種について電話で話したばかりだったと言い、増山法恵さんは持病がいくつもあったため死因もよく分からなかったとのこと。
竹宮惠子先生は増山法恵さんの死についてどう公表すればいいか悩み、亡くなってから3か月後の2021年10月頃にブログで綴りました。
竹宮惠子先生は、増山法恵さんと出会えて感謝していたそうです。
竹宮惠子先生は現在は公式Twitterにて、日本漫画学会の大会やシンポジウムなど、漫画系のイベントの告知を元気にしていらっしゃいます。
これからも元気なお姿を見せてほしいですね。
竹宮惠子は結婚せず独身
引用元:Amazon
竹宮惠子先生は、結婚していないので独身です。
デビューしてからかなりの作品を描き続けていますし、忙しくて出会いすらなかったのかもしれませんね。
竹宮惠子が教授をしていた大学は?
引用元:Amazon
竹宮惠子先生は、2000年に京都精華大学マンガ学科の教授に就任しています。
こちらはなんと、漫画家として日本初の大学の専任教員でした。
2008年には京都精華大学マンガ学部の学部長に就任、2014年には学長に就任し、「新世代マンガコース」を新設しています。
その後、2018年4月に京都精華大学の大学院マンガ研究科長・全学研究機構国際マンガ研究センター長に就任したのち、2020年に定年退職しました。
京都精華大学名誉教授称号も授与されています。
自分が描くだけではなく、新世代の漫画家たちに漫画について教えたいという思いがあったんですね。
なかなかできることではないと思います。
竹宮惠子の自伝は「少年の名はジルベール」
引用元:Amazon
竹宮惠子先生は、2016年に自伝「少年の名はジルベール」を出しました。
こちらは、大泉サロンを中心とした自伝となっています。
代表作『風と木の詩』執筆秘話なども書かれていますよ。
同じく漫画家として大泉サロンで過ごした萩尾望都先生も、「一度きりの大泉の話」というエッセイ本を出しています。
こちらにも竹宮惠子先生が登場し、大泉サロンでのことが書かれているので、暗い部分もありますが合わせて読んでみてもいいかもしれませんね。