さくらももこの顔写真!本名は三浦!家族や祖父についても調査!!

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日本には数多くの国民的漫画・アニメが数多くあります。

そして長年にわたって、国民に愛されてきた漫画やアニメの多くに共通しているのが「何気ない日常を描いた作品」ではないでしょうか。

どこか懐かしく、普段のリアルな日常にも有り得そうなテーマを扱った作品は、何世代にもわたって愛されています。

今回はそんな長年にわたって、国民に愛されてきた漫画・アニメの一つである「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこ先生の顔写真から本名の三浦姓、家族や祖父について紹介していきたいと思います。

さくらももこの経歴・作品・年齢・出身地・プロフィールについて

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引用:RBB Today

まず最初にさくらももこ先生のプロフィールをご紹介致します。

名前 さくらももこ
出身地 静岡県清水市(現:静岡市清水区)
生年月日(年齢) 1965年5月8日(2018年8月15日 53歳没)
経歴
  • 1984年、少女漫画雑誌『りぼん』への投稿開始。
  • 1986年、『りぼん』で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。
  • 1989年、講談社漫画賞少女部門受賞。
  • 1990年、「ちびまる子ちゃん」のTVアニメ放映開始。
  • 1992年、第27回新風賞受賞。
  • 1999年、自身が編集長を務める『富士山』が発売。
  • 2013年、「ちびまる子ちゃん」の実写ドラマ放映。
  • 2018年(没後)、静岡市市民栄誉賞受賞。
  • 2021年、東京アニメアワードフェスティバルのアニメ功労部門受賞。
作品
  • ちびまる子ちゃん
  • 神のちから
  • 永沢君
  • コジコジ
  • スーパー0くん
  • ひとりずもう
  • まんが倶楽部
  • さくらももこのCalbeeひとくち劇場

他、エッセイの出版や作詞を担当。

さくらももこ先生は、静岡県にある八百屋の生まれで、その後、幼少期から大人になるまで地元・静岡で過ごしました。

小学校1年生の時に、後にさくらももこ先生の親友となる「たまちゃん」と出会い、この「たまちゃん」が後にさくらももこ先生の代表作品である「ちびまる子ちゃん」に登場する「たまちゃん」のモデルとなりました。

小学校時代は、あまり真面目な方ではなく、母親に怒られてばかりの子供だったそうですが、それでもそろばん塾やバトントワリングなど、学校以外での活動も行っていたアクティブな子供だったそうです。

中学校に進学した後も、怠け者である習慣がなかなか抜けずいたそうですが、この頃から漫画を読み始めるようになりました。

高校進学後には、自身で漫画を描くようになったことから、『りぼん』への投稿を行い、漫画家を目指すようになったそうです。

そして、高校卒業後、短大に進むと『りぼん』で「教えてやるんだありがたく思え!」という作品で、漫画家としてデビューを果たしました。

短大卒業後は、在学中にデビューした漫画家として、上京して出版社に所属すると思いきや、地方自治や法律に関する書籍や雑誌の出版をしていた「株式会社ぎょうせい」に就職をしました。

しかし、そこでのさくらももこ先生の勤務態度が著しく悪かったため、上司に激高されてしまい、漫画家として生きていくと決意したさくらももこ先生は、この会社をわずか2ヶ月で退職することとなりました。

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そして、自身が学生時代に投稿していた『りぼん』にて、連載デビュー作となる「ちびまる子ちゃん」の掲載が開始されました。

いまではさくらももこ先生の最も代表的な作品である「ちびまる子ちゃん」ですが、連載デビュー作が代表作品とは、とてもすごいことですよね。

その後、『りぼん』の編集者である宮永正隆氏と結婚をします。自身が連載する漫画雑誌の編集者との結婚ですから、まさに「漫画一家」の誕生となったわけです。

そして「ちびまる子ちゃん」の連載開始から4年で、早くもTVアニメ化がされ、フジテレビ系列で放送がスタートしました。

その後は、ラジオでの花形とも言われる『オールナイトニッポン』のレギュラーを夫婦で務めるなど、一躍有名人となったさくらももこ先生は、その後も「ちびまる子ちゃん」の連載を続けます。

しかし、漫画一家で夫婦でラジオパーソナリティを務めた、宮永正隆氏と離婚をするなど、仕事の多忙により、家庭と仕事の両立が困難になっていきます。

それでも、「ちびまる子ちゃん」の連載とエッセイの執筆を続け、1999年には、自身が編集長を務めた雑誌『富士山』を出版し、活動の幅をさらに広げていきました。

2003年には、イラストレーターである、うんのさしみ氏と再婚を果たし、2006年には『ちびまる子ちゃん』の実写ドラマ化もされました。

しかし、次第に体調を崩していったさくらももこ氏は、仕事量をセーブしながら活動を続けます。

2015年にはグランドジャンプで『まんが倶楽部』の連載を始めるものの、2018年、乳がんのため、53歳という若さでこの世を去りました。

死因となった乳がんを引き起こした理由として、さくらももこ氏は大のヘビースモーカーであり、酒豪であったことが遠因とも言われています。

さくらももこの顔写真は?

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引用:AZZURRO

漫画家は素顔を明かさないケースも多いですが、さくらももこ先生の顔写真を確認することは出来るのでしょうか。

調べてみたところ、さくらももこ先生のインタビュー記事などから、顔写真を発見しました。

写真を見てみると、どことなく、さくらももこ先生の代表作品である「ちびまる子ちゃん」の主人公に似ているような気もしますね。

特に髪型が、おかっぱのような形をしているところなどはそっくりではないでしょうか。

それもそのはず、「ちびまる子ちゃん」はさくらももこ先生自身の少女時代をモデルとした作品で、主人公の名前も自身のペンネームである「さくらももこ」と名付けています。

さくらももこの本名は三浦美紀?

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引用:スポニチ Sponichi Annex

漫画家さんによくあるケースとして、本名を明かさずペンネームで活動していることがあります。

さくらももこ先生も、前項でご紹介したように、自身の活動時の名前である「さくらももこ」はペンネームです。

ちなみに「さくらももこ」の由来は、自身が好きな花であった「さくら」と「もも」を繋げたことが由来だそうです。

では、さくらももこ先生の本名はなんと言うのでしょうか。

公式には明かされていませんが、さくらももこ先生の本名は「三浦美紀」というそうです。

本名がどのようにして明かされたかについて、その出典元は不明でしたが、おそらく素顔を明かした形でメディア出演などをした際に、同級生などから見覚えのある顔であることから、特定されたのかもしれません。

いずれにしても、本名が明かされたとしても、さくらももこ先生のイメージが崩れるようなことはないでしょうから、問題はないかと思います。

ただし、プライバシーの観点から、本名を明かさないようにしていたならば、周りの人も配慮してあげるべきだったかもしれません。

さくらももこの家族構成は?写真はある?

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引用:ちびまる子ちゃん

漫画家の傍ら、家庭も持ち、仕事と家庭の両立に苦労されていた、さくらももこ先生。

前項でご紹介したように、一度結婚をして、再婚したさくらももこ先生は、どのような家族構成だったのでしょうか。

まず生い立ちからご紹介すると、さくらももこ先生は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)にある八百屋の次女として生まれました。

その後、上京し、漫画家としてデビューした後、『りぼん』の編集者である宮永正隆氏と一度目の結婚しました。

そして、1994年に長男を授かりました。

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その後、1998年に宮永正隆氏と離婚をした後に、2003年に、イラストレーターである、うんのさしみ氏と再婚を果たしました。

噂では、うんのさしみ氏との間にも子供を授かったという情報もありましたが、このことについては、さくらももこ先生が公表しているものではないので、あくまでも噂レベルに留まりそうです。

それでは、さくらももこ先生の家族の様子が分かるような写真はあるのでしょうか。

調べてみたところ、元夫である宮永正隆氏と一緒に写っている写真が確認できました。

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引用:まちゃの毎日好き勝手blog

ちなみに、一番左に写っている方は、タレントの渡辺満里奈さんです。

著名人であるさくらももこ先生ですし、今のようにSNSなど家族の模様をオープンにする場はなかった時代ですから、家族の様子が分かる写真はなかなかないようです。

さくらももこの祖父である友蔵について

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引用:ミツウロコ

前項でご紹介したように、「ちびまる子ちゃん」はさくらももこ先生の少女時代をモデルとして描かれた作品です。

主人公の「さくらももこ(まる子)」だけではなく、多数の登場人物が実際にさくらももこ先生の周りに存在していた方々のまま、描かれています。

しかし、祖父の「友蔵」だけは違ったようです。

漫画の中での「友蔵」は、まる子の良き理解者で、いつも味方になってくれる存在として描かれていますが、実際の「友蔵」は、漫画の「友蔵」とは真逆な方だったようです。

さくらももこ先生のエッセイによれば、家族全員単位で祖父のことを嫌っていたようです。

実際の祖父「友蔵」については、以下の記事で詳しくご紹介しているので、ご覧ください。

ちびまる子ちゃんは作者さくらももこ先生のエッセイ漫画とも言われており、出てくるキャラクターにもモデルがいる場合が多いです。孫のまる子に優しいおじいちゃんこと友蔵も、さくらももこ先生の実際の祖父がモデルと言われています。しかし、実際の友蔵は性格が全然違っていて、実はクズだったという噂です。実際の友蔵が死んだ時の葬式の様子なども合わせてご紹介します。

いかがだったでしょうか。自身の半生を描いたような作品である「ちびまる子ちゃん」で一躍トップ漫画家となり、国民的漫画そしてアニメの作者として人気となった、さくらももこ先生。

若くして亡くなってしまったことが非常に惜しいですが、現在も「さくらももこプロダクション」で、その遺志を継いだ形で「ちびまる子ちゃん」が描かれ続けています。

作者が亡くなっても、漫画やアニメが無くなることはないですし、絶対に後世に受け継いでいきたい漫画・アニメとして、これからも人気作品で有り続けてほしいですね。