「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」で有名な漫画家、松本零士さんの作品と経歴についてインターネットで検索をしたので、お伝えいたします。
松本零士さんがデザインした船について、また自宅の場所やご結婚された奥さんに関して、また槇原敬之さんが作詞作曲した「約束の場所」における作家の著作権をめぐる問題について、お伝えいたします。
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松本零士さんの経歴と作品について
松本零士さんは日本の漫画家です。誕生日は1938(昭和13)年1月25日。福岡県久留米市生まれ。本名は松本晟(まつもとあきら)。現在は東京都練馬区に在住しています。血液型はB型です。
旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章を受賞しています。現在の称号は練馬区名誉区民です。
また、宝塚大学教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任しています。
前述した松本零士さんの誕生日は「サイボーグ009」で有名な石ノ森章太郎さんと同じ年月日だそうです。石ノ森章太郎さんとは同じ時期に練馬区の在住していたことや、同時期に手塚治虫のアシスタントを務めたことから、松本零士さんは石ノ森章太郎さんのことを「旧友」と呼んでいるそうです。
松本零士さんの父親の松本強さんは下士官から叩き上げで将校である陸軍少佐(最終階級)にまで上った帝国陸軍の軍人であり、また陸軍航空部隊の古参の操縦者でもありました。
その父の仕事の関係で4歳から6歳まで兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み、その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開をしていました。
大戦中も父親は第32教育飛行隊の隊長をして大戦の後期から末期にかけて特別操縦見習士官や少年飛行兵出身の新参パイロットの教育や二式複座戦闘機「屠龍」に搭乗して終戦の日まで連合軍と戦っていたそうです。
戦後になり、多くの元軍人やパイロットが自衛隊入りしたそうですが「敵の戦闘機には乗れない」と拒否をして実家で大平村での炭焼きや小倉で野菜の行商をして赤貧の生活へと自ら進んでいきました。
しかし家族の中で父に反対するものはおらず、幼いころの松本零士さんも「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押していました。
この時培われた「本当のサムライとしての父のイメージ」は後に自身の漫画のキャラクターの「ハーロック」や「沖田十三」のモデルとして具現化されていきます。
松本零士さんの母は元教師で、子供の頃、宿題の添削をしてくれたそうです。後に自分の母親が当時では高学歴で出身家庭が恵まれていたことを知り、夫の意地のため苦労しながらも周囲の嘲笑に歯を食いしばって耐えながら、父とともに働いていたことを知ったそうです。
終戦後、小学校三年生のときに福岡県小倉市(現北九州市)に移りました。
小学校の時から「総務部総務課山口六平太」で知られる高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成して、同人誌「九州漫画展」を主宰していました。
1954(昭和29)年には福岡県立小倉南高等学校1年生の時に「漫画少年」に投稿した「蜜蜂の冒険」が掲載されてデビューを果たします。
高校卒業後の1957(昭和32)年には月刊少女雑誌「少女」の連載が決定して上京しました。
「少女」と「少女クラブ」で不定期に描く少女漫画家として漫画家生活を始めましたが、少女漫画がスランプに至り、タレントの取材なども手掛けるライターもしていました。その後1960(昭和35)年頃には青年誌に進出しました。
また、デビュー当時は「松本あきら」名義を使用しており「松本零士」を使うようになったのは1965(昭和40)年以降だそうです。
少年時代からSF漫画を描いていた松本零士さんですが、SF漫画の作品は不人気で打ち切りも多かったそうです。その中で、出世作は1971(昭和46)年から「週刊少年マガジン」に連載した「男おいどん」でした。
同作は1972(昭和47)年には講談社出版文化賞を受賞しました。その結果松本零士さんは独自の漫画世界の一つ「四畳半もの」を開拓しました。
1974(昭和49)年秋から、テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」に企画途中から参加しました。
メカニックデザイナーとしての招聘でしたが、以前よりアニメ作りを願望していた松本は全面的に携わったそうです。
本放送時には低視聴率に終わったものの、再放送によって人気を得て1977(昭和52)年には劇場版アニメが公開され社会現象となりました。
この「宇宙戦艦ヤマト」がきっかけとなり中・高校生などの青年層までの幅広い視聴者の存在が広く示されて「銀河鉄道999」や「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」「新世紀エヴァンゲリオン」までSFアニメのブームの先駆けとなりました。
このアニメブームがきっかけとなり、松本零士さんは東映動画のイメージクリエイターに起用されました。その後テレビアニメ「惑星ロボ ダンガードA」「SF西遊記スタージンガー」にデザインを提供しました。
また、自らも企画として温めていた「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」が「宇宙戦艦ヤマト」の人気によってアニメ化が決定されました。
その中でも「銀河鉄道999」は大ヒットをして松本零士ブームが到来しました。
それ以降松本零士原作のアニメが製作されましたが、1982(昭和57)年の「わが青春のアルカディア」「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」の頃には下火になってしまいます。所謂松本零士バブルがはじけた時でした。
その結果1983(昭和58)年夏に劇場アニメ映画として企画されていた「クイーン・エメラルダス」は頓挫して、ブームは終焉を迎えました。その後はじけたバブルは元に戻らずに20年ちかく松本零士原作のTVアニメは実現されませんでした。
一方で1980年代後半から宇宙開発事業団などの様々な団体の役職に就任しました。漫画の執筆活動の方では、自作の異なる作品に登場した人気キャラクターを同一の作品世界にまとめる作業を進めていたそうです。
その後、松本アニメブームで育った世代がクリエイターになり1990年代後半以降には再び松本零士の作品を原作としたアニメのリリースが活発になりました。
2003年には画業50周年記念作品として「銀河鉄道999」から派生した「銀河鉄道物語」が発表されました。
2006年には宝塚造形芸術大学のメディア・コンテンツ学部の教授に就任しました。
松本零士さんの船とデザインについて
松本零士さんは東京都観光汽船の水上船のデザインをしています。
名前は「ホタルナ」といいます。
引用元:ホタルナ
宇宙船をイメージしたシルバー・メタリックの流線形ボディにガルウィングの扉、船体屋上には遊歩甲板を設置しており船外で景観を楽しめるようにしているそうです。
「ホタルナ」の名前の由来は“月が輝く夜に神秘な輝きを放つ蛍が墨田川を舞う”というコンセプトのもと、ホタルとルナ(ルナは「月の女神/LUNA<ラテン語>」からとられているそうです)から「ホタル月」という名前とともに新たな旅立ちを行うという松本零士さんの思いが込められた船名だそうです。
松本零士さんの自宅の場所について
松本零士さんの自宅は東京都練馬区にあるそうです。練馬区といえば大泉です。大泉といえばジャパニメーション(「Japan(日本)」と「Animation(アニメーション)」を合成して作られた和製英語で日本製アニメーションの総称に使われる)の発祥地ともいわれています。
また手塚治虫さんや藤子不二雄さん、萩尾望都さんなどのSF漫画の巨匠たちが住んだ「漫画家の街」としても有名な土地です。
漫画の土地というと「トキワ荘」が思い浮かびます。「トキワ荘」は豊島区にあったアパートで漫画エリートが入居を許されていた場所だったそうです。
漫画やジャパニメーションなど日本におけるサブカルチャーをメインとして、その中でも作家性をもった人たちがそこで生きていたことが感じられる土地であり、そこには物語も感じられるように思います。
松本零士さんの結婚相手の妻について
松本零士さんの結婚相手は牧美也子さんです。彼女も日本の漫画家をしています。誕生日は1935(昭和10)年7月29日。出身地は兵庫県神戸市になります。大阪府立高津高等学校を卒業しています。
1957年の「母恋いワルツ」で漫画家デビューをしています。
1960年代初めには集英社の「りぼん」や同じく集英社の1963年創刊の「マーガレット」や講談社の「少女フレンド」など少女漫画家として活躍をした後、レディースコミックに転向しています。
現在は女性週刊誌・青年誌などで活躍しています。「悪魔の花嫁シリーズ」で知られている池田悦子原作の「悪女聖書(あくじょばいぶる)」など官能的な漫画作品を連載して、ドラマ化された作品もあります。
またタカラの人気着せ替え人形「初代リカちゃん」のイラストも手掛けているそうです。
このことから牧美也子さんはかなり先鋭的な女流漫画家ということがわかります。「悪女」と「聖書」がつなぎ合わせて、尚且つ女性を主人公にした聖書物語とはかなりユニークな発想の漫画です。
池田悦子原作の「緋紋の女」で第3回1974年日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。また「源氏物語」で第34回1988年小学館漫画賞を受賞しています。
松本零士さんの槇原敬之さんの盗作問題について
2006年に音楽家の槇原敬之さんがCHEMISTRYに提供した楽曲「約束の場所」の歌詞の一部が1996年より再開された「銀河鉄道999」の作中セリフの盗用だと松本零士さんが女性週刊誌で槇原敬之さんを非難しました。
CHEMISTRYの「約束の場所」のジャケットです。
また日本テレビ系の番組にも生出演して同じように槇原敬之さんが松本零士さんのセリフを盗用したと非難したそうです。
これに対して槇原敬之さんも記者会見で否定をして個人的な趣味で読んだことがないので「約束の場所」の歌詞は全くのオリジナルであり本当に盗用だと疑っているのなら裁判で決着をしていただきたい」といったコメントを発表したそうです。
槇原敬之さんは著作権侵害不存在確認等請求をして松本零士さんが盗作という証拠を示せなかった場合はCMソングの中止などによって2,200万円の損害賠償請求も行ったそうです。
松本零士さんは「男たるもの、負けると判っていても戦わなければならない時がある。」と語ったそうです。
槇原敬之さんは「泥棒扱いされてもしていないものはしていない」「(問題の歌詞の部分は)仏教の因果応報の教えから」「(松本零士さんは)謝れば許すといっているが、それは罪を認める行為だ」と弁論をして、松本零士さんの反論を聞くことなく退廷しています。
一方で松本零士さんは「このセリフは私の座右の銘」であり「長く使い、媒体でも後援会でも発表している」「一言、公の場で『すまん』と言ってほしかった」「偶然としても、あそこまで似ているのはありえない」と反論。
結局、「原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」及び「2人の表現が酷似しているとは言えない」と依拠性と類似性という著作権侵害の2つの構成要件を認めず、槇原敬之さんに対する名誉棄損を認めたそうです。
さらに2009年には東京高裁で控訴審が開かれ、松本零士さんが「槇原敬之さんの社会的評価に相当な影響を与えた」と陳謝する内容を和解条項として和解が成立したそうです。
金銭支払いはなかったそうです。
この事件から作家の創造に関する著作権に関して、作家性というものに重きを置かれることがわかりました。
ただ、松本零士さんは「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の生みの親としても知られている漫画家であり、その発言の社会的影響はあまりあるものでしょう。
ありていに言って、現代日本の中で影響をうけていないと考えるのは難しいと思います。ただ、それが剽窃や盗用かというと、それは別の話ではないでしょうか。
これだけ日本から海外まで(フランスのテクノユニットDaft Punkの「One More Time」では松本零士さんのデザインしたキャラクターがアニメーション化されてPVとして起用されています)大きな影響を与えている方ですから似たような表現があっても、無意識下の影響といったレベルのものだと思います。
むしろ、槇原敬之さんほどの音楽家としての才能の持ち主が無意識に似たような表現をしていたとしても不思議ではないでしょう。
それこそが個人であれだけの音楽を作りあげるポップミュージック作家の本領であり天才だからです。