野球漫画のパイオニアと言われるほど、漫画界の歴史にしっかりと刻んでいる水島新司先生。
数々の野球漫画を執筆し、少年時代に野球好きだった人たちは、必ずと言っていいほど、水島新司先生の漫画に触れているのではないでしょうか。
または、水島新司先生の漫画を通じて、野球を好きになった人も少なくないはずです。
「ドカベン」に代表される、数々の野球漫画を描いてきた水島新司先生ですが、現在はどうしているのでしょうか。
今回は、そんな野球漫画の巨匠、水島新司先生の現在について紹介していきたいと思います。
Contents
水島新司の経歴・作品・年齢・出身地・プロフィールについて
まず最初に水島新司先生のプロフィールをご紹介致します。
名前 | 水島新司(みずしましんじ) |
出身地 | 新潟県新潟市 |
生年月日(年齢) | 1939年4月10日(82歳) |
経歴 |
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代表作品 |
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水島新司先生は、新潟県にある魚屋の生まれで、中学卒業後から父親と関係のあった水産問屋で働いていました。
なんでも、水島新司先生の父親は多額の借金を抱えていたそうで、その父親の借金の面倒を見てもらっていた水産問屋で働いていたという、なかなか苦しい少年時代を過ごしていました。
その水産問屋で働いているときに、漫画家になることを志しました。
日の丸文庫の新人漫画コンクールに投稿し、特選二席として表彰された水島新司先生は、家族を説得して、大阪に住まいを移しました。
日の丸文庫の社長である山田秀三さんの家で住み込みで漫画家を目指した水島新司先生は、コメディ漫画を執筆し、人気漫画を次々と世に輩出していきました。
その後、日の丸文庫を離れ、独立をすると、後の水島新司先生の代名詞ともなる野球漫画を執筆するようになりました。
1972年には、水島新司先生の代表作となる「ドカベン」が週刊少年チャンピオンで掲載され、翌年の1973年からは、ロングヒット野球漫画となる「あぶさん」がビッグコミックオリジナルで掲載されるようになりました。
その後も、野球漫画のパイオニアとして、様々な野球漫画を描き続けた水島新司先生は、2007年に漫画家生活50周年を迎えました。50周年企画には、多くの漫画家が参画するほか、王貞治、長嶋茂雄、松井秀喜といった野球界のスーパースターや、ビートたけし、爆笑問題など、大物芸能人からもメッセージが寄せられるという、とても豪華な面々が揃う企画となりました。
2005年には紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受章し、日本国を代表する漫画家、エンタティナーとしてその栄誉を讃えられました。
そして、2020年、63年間にも及んだ漫画家としての活動から引退することを発表し、現在に至っています。
水島新司の現在・近況について
63年間という長い漫画家生活を送った水島新司先生。前述のプロフィールでご紹介しましたとおり、2020年の12月に漫画家生活から退いた水島新司先生ですが、現在は何をしているのでしょうか。
調べてみましたが、残念ながら、水島新司先生の現在について、手がかりになる情報を得ることはできませんでした。
63年にも及ぶ漫画家生活でしたから、これまであまりゆっくりする時間も無かったかと思います。
ただでさえ、漫画家さんは多忙な日々を過ごしているという話をよく耳にしますから、曽於生活を63年も続けられていたのであれば、心休まる時間などこれまでほとんど無かったかと思います。
水島新司先生も御年82歳ですから、今はゆっくりと老後の生活を送っているのではないでしょうか。
水島新司先生が漫画家生活をお辞めになっても、水島新司先生が描いた漫画が腐ることはありませんから、これからも野球漫画のパイオニアとして後世にも語り継がれていくことかと思います。
水島新司の引退理由は病気?
引用:サンスポ
水島新司先生の引退理由の一つとして「病気」が原因ではないかという噂があります。
これは果たして本当なのでしょうか。
まず、水島新司先生の引退理由については、公にはなっていません。
従って、水島新司先生側から、具体的な引退理由が述べられているわけではありませんので、ここからは引退理由と推測される情報としてご紹介していきたいと思います。
引退を表明した2020年の5年前である2015年に、体調不良を原因に「にいがたマンガ大賞」の最終審査員を辞任しているとの情報がありました。
一説では、この「体調不良」が悪化したことで、2020年に引退したのではないか、という噂が出ていますが、体調不良に関する情報はこれだけとなっています。
むしろ、水島新司先生は、引退するまでに野球場に足を運んだり、かなり精力的に活動されていた情報の方が多いため、もしかすると、引退理由は「体調不良」ではない可能性が高いかもしれません。
水島新司先生が引退したのが2020年、御年81歳ですから、体調不良というよりは「体力の限界」、すなわち老化による原因でもあるかと思います。
2018年には、長きに渡って描いてきた「ドカベン」が完結したことで、一区切り付いたのではないかとも言われているため、むしろ水島新司先生の引退はある意味では「必然的」であったのかもしれません。
それでも、これだけ何世代にも渡って読まれてきた野球漫画を執筆し続けてきたその体力は凄まじいものであったのではないでしょうか。
若くして亡くなってしまう漫画家さんも少なくない中、これだけ元気に描き続けられた水島新司先生は、かなりの体力を持っている方という見方が良いかもしれませんね。
引退された後も、お元気でいらっしゃることを願います。
水島新司の息子・娘・嫁などの家族について
引用:Spead Box!
漫画家さんの家庭事情などは、あまり明かされないケースが多いですが、水島新司先生には家族・家庭があったのでしょうか。
調べてみると、どうやら息子さんがいらっしゃるということは確認できたのですが、娘さんや奥様のことなどはわかりませんでした。
水島新司先生の息子は、水島新太郎というお名前で、若い頃にはCDデビューをしました。
そして、俳優になることを目指していたそうなのですが、父である水島新司が、親交のあったビートたけしにそのことを相談すると、なんと「たけし軍団」の一員として活動することになったのです。
結果として、あまり表舞台に出ることもなく、ゆくゆくは父親のマネージメント業務に携わるようになったそうで、現在でもあまりメディア露出はされていないようです。
それでも、もともとはたけし軍団の一員だったわけですから、水島新司先生の活動に関するメディア露出があった際には、どこかでお見かけをするかもしれませんね。
もしかすると、今は水島新司先生の余生を共に過ごしているのかもしれません。
水島新司の自宅は吉祥寺にある?
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水島新司先生の自宅はどこにあるのでしょうか。漫画家さんは自宅と事務所が併設されているケースも少なくないのですが、水島新司先生は、自身の事務所である「水島プロダクション」を構えており、その住所は東京都武蔵野市吉祥寺南町だそうです。
つまり、水島新司先生の自宅はどうやら吉祥寺にあるようです。
事務所の空中撮影の写真を見てみると、野球を象徴するホームベース型の建物が見えるので、おそらく水島新司先生の事務所兼自宅で間違いなさそうですね。
それにしても大きな敷地・建物であることが分かりますね。もしかすると周囲からは「ドカベン御殿」「あぶさん御殿」などと言われているのかもしれませんね。
一説では、小金井にもゆかりがあったということで、もしかすると西東京を転々とされていたのかもしれません。
この自宅でゆっくりと余生を過ごされていると思われる、水島新司先生。
数々の人を野球漫画で虜にしてきたその漫画は永久不滅ですし、欲を言えば、またもう一度、水島新司先生の作品を見たいですね。
その際は、現在メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手の作品なんかも見てみたいと思ってしまいます。